「鈴木いづみ」読みなおし

速度が問題なのだ。

人生の絶対量ははじめから決まっているという気がする。

細く長くか、太く短くか、いずれにしろ使い切ってしまえば○○○○○○○○。

(・・以下ちょっと伏せ字にしておきます。)

どのくらいの速さで生きるか?

(「いつだってティータイム」より)

いづみ語録・コンパクト

いづみ語録・コンパクト

 

初めて読んだのは17歳くらいだったろうか。

学校でいつも朝読書という時間があり、

決められた時間に本を読む時間が設けられていて、

毎朝彼女のSF小説を読み漁っていた。

 

最近また読みたくなり買い戻した。

40年以上前に書かれた本なのに、

現在を予見しているかのような言葉に一瞬ゾッとした。

 時代のせいにするのは、やさしい。

実際、60年代より70年代のほうが、一口でいえば、

「時代が悪くなったいる」のだし、これからはますます厳しい状況になるだろう。

政治がわるい、などと簡単明瞭にいえない、

大きな何物かが、わたしたちにおおいかぶさってくるにちがいない。

それらのものは、テレビや雑誌や新聞やファッションという形をとって

「家庭」にはいりこみ、そこで根をおろすだろう。

目にみえる敵ではなく、むしろあまい誘惑として映るさまざまなものが、

わたしの価値観をかえ、支配するだろう。

そんな気がしてならない。(「幻想の内灘」より)

所有物で満たされる価値観を危惧するかのような

今の情報網が発達した世の中をふと思わせる内容。

そして少なからずそれは現実としてネットを開けば

いつでも虚構の世界は広がっているように思う。

 

鈴木いづみの作品もさることながら、

夫で天才的アルトサックスプレーヤーと言われた阿部薫との日常や、

自死のエピソードなど、とにかく全てが強烈すぎて、

今だったらそのエキセントリックさについていけず

もしかしたら手にすることはなかったかもしれない。

 

"世界をどのように認識するかが、SFである。

宇宙船がでてくればSFになる、というわけじゃない"

と仰る通り、

SF作家である彼女の描く作品は、

日常におけるSF作品が殆どで、その裏には、

"日常のつまらないことの一つ一つがいかに大事か"

ということがテーマとなっている。

ドライで冷めた文章は読んでいて清々しく、

歯に衣着せぬ、キワドイ、けれど本質を突いた名言の数々は

後にも先にもこんな作家はいないのではないかと思ってしまうほどだ。

 

 

高校時代、夫・阿部薫との半生を描いた「エンドレス・ワルツ」も見た。

鈴木いづみ役に広田レオナ

阿部薫役に町田康

荒木経惟が撮影した被写体のイメージのままに、

広田レオナの演じるアンニュイで浮世離れした雰囲気は

まさに鈴木いづみのようであったし、

今や紳士な町田康は若い時はよく阿部薫に間違われていたと

自身の著書でも述べられいたし

(「つるつるの壺」だったか…「へらへらぼっちゃん」だったか…)

2人ともはまり役だな〜と思いながら見ていた。

 

"叩き割られた厚さ2mのGSのレコード"というエピソードからも

ゴールデン・カップスをはじめとする音楽好きだったという彼女の書く小説は

「ハートに火をつけて!誰が消す」とか

「なんと、恋のサイケデリック!」とか

独特のリズム感の切れ味のある文体が特徴的で

「ユー・メイ・ドリーム」「煙が目にしみる」

「真夜中のエンジェルベイビー」「タイムマシンにお願い」など

音楽好きの片鱗が随所に散りばめられているタイトルも面白い。

 

事実は小説より奇なり…ではないが、

彼女が書いた「いつだってティータイム」の冒頭

「速度が問題なのだ。…」を彼女自身が体感し、

生を恐ろしい速さで全うするかのように、

太く短く濃い時間を生きた人だったのだろうと、

遺した言葉の一つ一つに思いを巡らせながら再読した。